海のリズムで暮らす
明日から12月、今年も足早に過ぎていきます。新年を迎えアレヨコレヨしてるうちに、不惑の40才になり、いつしか春になります。春になるとワカメ漁の始まりです。
ワカメ漁の次は岩牡蠣、そして7月からはサザエ・アワビ・岩モズクと続き、8/20で漁期を終えます。
海が生活の中心にある生き方ができるなんて幸せなことです。
大学1年から始めたダイビングがその後の人生にもの凄く影響してます。大学4年間は海一色の生活でした。一級船舶免許を取ったのも学生の頃です。
大学で専攻した経済学の知識はまるでゼロに近いです。一切の学業は意味をなさないと判断したおかげで、いまだに平均株価とか一部上場の意味すら知りません! 戸井君、それ極めてマズイね~
父母よ、哀れな息子を許したまえ。
就職は都内の大手スポーツクラブでした。就職活動はほとんどしなくても、あの頃はバブルの残り火がまだあったので引く手アマタでした。
出版会社にも内定はもらってましたが、挨拶文の課題でふざけた文章とバラクーダが渦巻いている不思議な絵を添えて提出したら、激怒されて内定取り消しとなりました。社長、見る目がないな~とその頃思ってたけど、やっぱり見る目があったんだな、と今になって思います。
スポーツクラブでは水泳とダイビングとその他諸々を担当。飲んで金がなくなると支配人に借りて、また飲みに行ったり、お客様をたぶらかして(?)何度も沖縄ツアーを敢行したり、やってることはホストクラブのようでした。実際、支配人も社員に対し゛ホストみたいに接待しろ゛と言っていたし・・・
石川に帰ってから3年くらい家業をしてたけど、海のない生活は苦痛でした。幸い(?)家業が倒産したおかげで私は自由になれました。
そして橋立に移り住み、底引き船の若い衆になり、再び海の世界へ戻ることができました。
土肥実平から続く小早川水軍の血を継ぎ(妄想だけど・・・)、祖父(私にクリソツ)をグアム沖海戦で亡くした私として、海とは切っても切れない因縁を感じます。
そしていつか海に還る日まで、まだ当分の間、海をめぐる旅は続きそうです。