潜水漁師が船長を務める石川県橋立漁港の遊漁船

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歴史と海と建築をめぐる旅

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いつも見てる日本海とは違った、波一つない静かな海です。支柱のないキャンティレバーのラウンジは解放感と浮遊感があります。

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海から昇る朝日を見るのは何年ぶりだろうか?  子供と一緒に四泳法の撮影をしてフォームのチェックをします。朝から体育会系です。バイクはしなかったけど、この島でロングライドしたらさぞ気持ちのいいことでしょう!

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「来年の夏旅行はどこへ行くか?」

「サルディーニャ島!」

・・・what?・・・

冗談はさておき、夏の終わりの旅行は、すべてを忘れて、ココロとカラダをいちどリセットさせてくれます。そして解放感を味わうとともに、まっさらなココロのなかに、新たな好奇心とアイデアを育ってくるのを楽しむ時季でもあります。

そのアイデアをどこかに着地させ、実らせていくのは、秋以降の宿題ということにして。

よりよく生きるためには、仕事をするときは本当に掛け値なしで仕事をし、そして、休むときはすべてを忘れることが大事なんですね。

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永禄10年10月10日、松永久秀は三好三人衆の陣取っている東大寺大仏殿の焼き打ちを命じました。

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そして10年後、天正5年、大仏殿焼き打ちと同日同刻、遠くに見える信貴山の城にたてこもる久秀は織田信忠らに攻められ自害。人々は久秀の最後を春日明神の祟りだと噂しあったいいます。

城の落ちる前日、佐久間信盛から使者が久秀のところにやって来て、信長公常々所望の平蜘蛛の釜をお渡しいただきたい、天下の名器をむざむざと滅することは松永殿としても本意ではあるまい、と書面を差出しました。

久秀はこれに対し、

平蜘蛛の釜と久秀の白髪頭は微塵に打ち砕いて信長公にはお目にかけまい、と答えました。

それから幾許もなくして久秀はその言葉通り、落城の時爆薬で自分の頭を割りました。平蜘蛛の釜はどうなったか、ついに城の焼け跡からも出て来ず、歴史の闇に葬られました。

今となっては、その長く続いた争乱の面影を、この大和の地で見ることはできません。ただ目を閉じ、大和の風(熱風!)を感じ、大地に手を添えると、妄想の中で生き生きと当時の様子が浮かび上がります。

歴史と建築をめぐる旅はまだまだ終わりそうにありません。

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