二つの山城
今日は南西の風が強く吹いたため、潜水漁はお休みとなりました。今回は戦国フェチの私にお付き合いいただけたら幸いです。
ウインターシーズンになると二つの山城の間を通り抜け、白山麓のスキー場へと向かいます。その二つとは鳥越城と二曲(ふとげ)城です。
この二つの城が歴史の表舞台に登場するのは戦国時代の終わり頃の天正年間です。両城は織田信長の攻勢に最後まで抵抗した、白山麓の一向一揆の拠点となった城です。
二曲城に登ってみましょう。標高は268mの山というより小高い丘といった感じです。
うっそうとした木々が生い茂り、クヌギの樹液の匂いと甲高い鳥の鳴き声が交錯してます。昨晩の雨と暖かい南西の風で握った手を広げると水滴ができるほどムシムシしています。
山頂の本丸跡は平坦に削平してあります。大日川を挟んだ向かいの山は鳥越城です。メーヴェに乗ってちょっと行ってみましょう。
手取・大日両川の合流地点に位置する鳥越城は丘陵先端部を利用して築かれた山城で標高は312mです。
鳥越城は天正初年頃(1570年代)に築城、天正8年(1580年)柴田勝家の猛攻により落城。計略によって討ち取った山内衆の指導者の首19を安土の信長のもとへ送りました。
その後も両者の戦闘は続き、翌年3月9日、越後の上杉景勝が信長の御馬揃出席のため大名が上洛して不在の越中へ押し寄せた際、山内衆もこれに応じて鳥越城を攻めましたが佐久間盛政に撃退されました。
天正10年、最後まで残った吉野谷の一揆衆も敗れ、生け捕りにされた300人におよぶ門徒達が磔に処せられました。ここに加賀の一向一揆は終焉を迎えました。
その後、白山麓の村々は廃村となり、以後3年間は荒地に化したそうてす。
誰かおらぬか、開門! カイモーン!
山頂の本丸跡です。周りの城塁は切り立った壁、そして下には空堀。もたもたしてると弓矢か鉄砲で撃ち抜かれそうです。
大地を深くえぐりながら流れる手取川、またカヌーで遊びたいな~
こちらは静かな大日川、鮎釣りの人がチラホラ見えます。鮎釣りには興味なし。
柵列の隙間から二曲城の本丸を眺める。一揆衆もこうやって見ていたはず。硝煙の匂いはしないものの、頬にあたる太陽と風は今も昔も同じです。
願わくば、黒澤明監督に鳥越城攻防の映画を撮ってほしかったです。かかれ柴田の柴田勝家、鬼玄蕃の佐久間盛政と畏怖された両氏の配役は誰にしようか? 私なら柴田は勝新太郎、佐久間は松田優作かな。
ちなみに柴田勝家は天正11年、越前北の庄で自害、享年62歳。佐久間盛政は同年、洛中引き回しのうえ、六条河原で斬首、享年31歳。
どちらが勝って、どちらが負けたのか? 野心、情念、計略、愛情、憎悪、献身、背信、死、功名、夢、現実、栄達、没落、運、不運、混沌としたカオス、パンドラの箱、すべてのものに対し南無阿弥陀仏・・・
戦国時代ほど人々の運命があらわに見える時代はない。
月光に照らし出された一本の川筋のように
井上靖